屋根裏文庫

お散歩日記。または感じたこと考えたことの記録。

明けましたことがおめでたい

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。年末年始は実家に帰り、両親の様子を見てきましたが、まあ元気でした。元気すぎるくらい。まあそういうものです。とりあえず安心です。

昨年に少し恥ずかしくも抱負を語ってから、1年が経ちました。あれから心境は随分と変化している気がしますが、成長しているのか衰退しているのかはよくわかりません。でもまあ、そういうものです。

この年末年始、年が明けてからも少しバタバタしています。これも終電の中でふと思いついて書いています。年末年始のおめでたい空気の中、バタバタと仕事をするのはなんだか寂しい気持ちもあります。

こんなに働く意味があるのでしょうか。自分はこの1年、きっと強くなるからといろいろと我慢してきましたが、本当に必要な強さなのでしょうか。私ができることといえば、この苦しみを他の人に与えないようにすることくらい。根本から断ち切ろうなんて力は起きず、自分がまた同じ環境にきたら、また苦しみに耐えて、時が経つのを待つのだろう。なんて弱いサラリーマン。

とにもかくにも、年が明けたのはおめでたい。なぜならこんな弱い私が、体や心を痛めながらも、なんとか1年乗り越えてきているのだから。三カ月後、何も環境が変わらないとしても、その事にひどく落胆することなく、少しでも前を向いて歩いていたい。…でもやっぱり異動したいけど。

母が倒れたので帰省した

母が倒れて入院したとのことで、連休を利用して実家である長崎に帰った。この際だからと一日お休みを取った。このおかげで時間と気持ちに余裕ができた。
私はあまり実家が好きではなかった。長い休日を実家で過ごすなら、その時間を友人や恋人と過ごす方が良いに決まってるといつも思っていた。それでも九州を出て関東に行かせてくれたお礼として、少なくとも年末年始には帰っていた。

今回は久しぶりに年末年始ではない長崎だった。熱い長崎は学生の頃の夏休みを思い出させた。病院から見える山々や海は素晴らしいものだった。母は以前より少し痩せてはいたが、思っていたよりも元気だった。

長崎でのゆったりとした時間の流れは、この半年で萎縮してしまった私の心と体をほどいた。すごくリラックスした気持ちだった。父や母の話を優しく聞いてあげることができた。二人とも日頃の鬱憤が溜まっているようだった。

父と母は離婚したがっていた。お互いに残された人生をストレスなしに楽しもうとしているらしかった。それが二人にとって最善ならしてもいいと思った。しかしそんなに焦る必要もなく、きっと二人はこの急激な変化に戸惑っているのだろうと、とりあえず母が独りになれる部屋を作ってあげた。

母の部屋を片付けていると、仕事に関する本がたくさんでてきた。こんなに忙しく働きながら、よく自分を育ててくれたなと今更思った。もうあとは自由に生きてくれという気持ちで、母の部屋を片付けていた。

母が倒れたことは喜べる状況ではもちろんなく、職場での辛い経験も喜べたものじゃないけど、今回の帰省によって私が実家に抱く思いは昔とは違う、優しいものになっていると気づくことができた。父も母もそれぞれ立派な大人だから、それぞれ楽しく人生を過ごして欲しいし、私も息子として彼らを見守りたい、そして一緒に楽しんでいきたいと心から思った。
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霧に覆われた山に助けられた

金曜の夜、さあ帰ろうというときに、上司に難題をぶつけられた。自分が悪いところもあったので、土日に持ち越して不安な休日を過ごすことはしょうがないと思った。

土曜の朝、いつも通り早く起きてしまったので、山に登ることにした。天気は良くないけど、どうしても自然に触れたいという思いが強かった。電車の途中、少し晴れ間が見えたけど、山に入ると途端に雲に包まれた。

人はほとんどいなかった。しっとりとした空気のもとで、植物はいきいきしていた。それなのに自分は金曜から持ち越した案件をずっと考えていた。どうすればうまくいくのだろうか。時々立ち止まってリュックに詰めた資料を確認し、頭の中に材料を入れてまた歩き出す。

歩いては考え、考えることに疲れたらふと立ち止まって自然を見渡す。とても贅沢な独り時間だと思った。すれ違う人も少なく、ただただ自然と向き合い、自分と向き合った。どうにもならなくて、もう考えることをやめたとき、ふと良い考えが思いついた。

結局月曜はうまくいった。山のおかげで頭も体もスッキリできた。山に助けられたと心底思った。そしてこれからもきっと山を頼るのだろうと思った。山からしたら迷惑かもしれないけども。

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